今回も意識高い系を辞めました記事の続編です。
妻
イトウ
前回、この名刺獲得キャンペーン後に内容がどんどん薄くなると書きました。
そう、若手社会人にありがちな罠にどっぷりつかっていくのです。
USENのエリート軍団
研修を終え、私は法人向けインターネット回線の営業となりました。
USENというと有線放送が真っ先に思い浮かびますが、商業用光回線を世界で一番最初にサービス開始した企業でもあります。
数百人の同期の中で、この部署に配属されたのは約30名。
この「ICT事業本部」はエリート軍団だと社内では認知されていました。
私の同期も東大こそいなかったものの、阪大、一橋、横浜国立、早稲田、慶應…更には海外の音大を出たという強者も。
いずれもシュッとしたスーツを着こなすインテリ達です。
意識高い系のイトウ青年はここでも夢を叶えていました。
イトウ
私は横浜の営業課に配属され、横山駅西口のビル街に日々、飛び込み営業をしていました。
そうです。
例えエリートでも、細身のスーツを着ていても、キラキラしたオフィスビルで働いていても、やることはゴリゴリのドブ板営業なのです。
ましてや新卒は既顧客もいませんから、自分で見つけなければなりません。
これは相当にしんどいです。
それまでの「しんどいランキング」は学生時代の夏の部活がぶっちぎりでしたが、精神面においてはそれを優に超えます。
初日の午前中こそ先輩が同行してくれましたが、それ以降はずっと1人。
予定もないから、ひたすらに飛び込みます。
その数、実に1日100件。
イトウ
この時は同期との電話が唯一の心の癒しでした。
横浜の営業担当になったのは同期で私だけ。
時に泣いていたこともあったかもしれません。
オフィスビルの踊り場から聞こえる私の声は、さぞ奇妙であったことでしょう。
新卒MVPを獲得
そんな私でしたが、なんとその年の新卒MVPに選ばれます。
妻
イトウ
飛び込み営業の傍ら、練習がてら地方の企業に電話営業をかけていました。
その電話をきっかけに一社、大口契約が決まったのです。
電話のみの契約クロージングなんて、ベテラン営業マンも滅多にありません。
というかできません。
当時はリーマンショックの直後。
たまたまコストダウンを考えていた企業に資料を送ったところ、あれよこれよ話が進み、あっという間に契約が決まったのです。
それは新卒ノルマの数か月分に相当するものでした。
これによりイトウはびっくりするほどあっけなく、その年の新人MVPとなったのです。
妻
イトウ
ブラック企業と同期
当時のUSENは、キャリア情報サイトが特集した「愛社精神ランキング」でぶっちぎりのワーストになるなど、当時流行り始めた「ブラック企業」を見事に体現していました。
参考 「社員から愛されている企業」や「愛されていない企業」が一挙公開、社員の悲痛すぎる声もGIGAZINE私の課も平均退社時刻は23時半ごろ。
上場企業に絞って労働時間を算出したら、当時日本一だったかもしれません。
イトウ
私はただ一人横浜で働いていたので、さほど気にしていたなかったのですが、全国に数百人いた同期は一人、また一人と減っていました。
それはエリート軍団と称された自分達の部署も例外ではありませんでした。
USENは大手であっても、ベンチャー気質が強く残る企業です。
遅くまでがむしゃらに働くことを美徳とする人が集まり、真摯に仕事に向き合う。
私もそんな先輩達がかっこいいと思っていました。
ただ、高学歴で頭脳派な同期達はそれを良しとは思っていなかったのかもしれません。
彼らは素晴らしい頭脳の持ち主ですから、引く手あまたであり、他社へも簡単に転職できます。
転職をしたら給料が倍になった、なんて話も聞きました。
残念ながら私は頭脳派ではありません。
ここでの転職は自身のキャリアを傷つけるだけ。
そう理解していたので、有給も取らずに会社と自宅を往復するだけの日々を過ごしていました。
と、ここまでの文章でお気づきの方もいらっしゃると思います。
そう。
入社し、がくしゃらに働く先輩達に影響された結果、夢や目標という志をすっかり忘れていたのです。
起業や夢といったものは、本来自分との戦いです。
しかし、仕事に浸かっていった結果、それはいつしか同期との比較に変わっていきました。
アイツより仕事ができる…。
アイツには負けたくない…。
ただそれだけを考えるようになってしまったのです。
社会人3年目のスランプ
こうして社会人生活は進んでいきました。
憧れていたIT社長のように起業する…学生時代に思っていたものは日々のノルマを考えるだけで、すっかり消えていました。
ただ、仕事は好きでした。
1年目ほど順風満帆ではありませんでしたが、2年目には上場企業を新規開拓し、特大の大口契約をゲット。
3年目には震災の影響もあって、粗利益の高いデータセンター案件もこなせるようになりました。
その一方、入社1年が経つ頃、同部署に30人ほど配属された同期は約半数となり、入社3年目に突入した頃には私を含め僅か4名しか残っていませんでした。
イトウ
社会人3年目の夏ごろでしたでしょうか。
同期が辞めていく最中、自身にもスランプが訪れていました。
大口契約に重点を置いた結果、新規の営業を後回しにしていたのです。
新卒MVPの時と同様に、大口契約は大きな利益を生み出してくれる一方、追加発注が来るには時間がかかります。
新卒時代は何も考えず行動していた結果が、そのまま営業成績につながっていました。
しかし、大口契約に味を占めた結果、新規営業が減り、案件数が足りなくなっていたのです。
同期の最前線にいたはずなのに、気が付いたら最後方。
同じ部署の生え抜き同期は私を含め4名しかいませんが、それでも最下位には変わりません。
むしろ、気心の知れている同期達の中でのビリはとても辛いものがありました。
当時の自分の評価基準は同期との比較だけ。
新卒MVPを獲得し、最高の社会人スタートだったはずです。
2年目には全国トップクラスの成績をたたき出したこともあります。
そんな中、3年目のスランプ。
ここで、もし同期が先に出世したら…。
そんな日々が怖くて仕方ありませんでした。
こうなると、不思議なものです。
高い志を持って入社し、憧れの先輩達に囲まれて仕事をしているのに。
仕事そのものがとても辛いものに感じるようになってしまいました。
自分はこんなはずじゃない…。
活躍していたイトウはどこに行ったんだ…。
そんな葛藤のある日、大学の恩師と食事をする機会がありました。
そこで人生の大きな転機が訪れたのです。
それは救いの船である一方、もしかしたら悪魔の誘いだったのかもしれません…。
妻
イトウ
イトウ
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